「気持ち悪いです蒼木くん」レビュー|推す側だった私が、推し部屋の“推し”になる69ページ
準社員井上のTLコミック。飲み会で酔い潰れた先は陽キャ同級生の部屋で、壁一面が自分のグッズで埋まっていた。推す側だったヒロインが推される側に回る構図と、本編69ページという分量を、日間・週間・月間すべて1位という実績とあわせて整理しました。
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飲み会で酔い潰れ、目を覚ましたら知らない天井。部屋の主は、高校から同じなのにほとんど喋ったことのない陽キャの同級生だった——ここまではありふれた出だしです。準社員井上の「気持ち悪いです蒼木くん」が本当に始まるのは、彼が部屋の電気をつけた瞬間から。副題が「陽キャ男子の推し部屋は全部“私”でできている」と言い切っているとおり、壁も棚も自分のグッズで埋め尽くされていた、その先です。配信翌日の日間ランキングから月間まで1位を通したこの作品が、どういう設計でできていて誰に向くのかを整理しました。
作品の概要
準社員井上が2026年6月6日に配信した女性向け同人コミックです。モノクロ漫画で本編69P+表紙等、ファイル形式はJPEG、PDF同梱、ファイル容量は997.78MB。年齢指定はR18、価格は880円。サークル名と作者名はどちらも準社員井上です。「気持ち悪いです蒼木くん」というシリーズ名が設定されていますが、2026年8月6日時点でシリーズに属するのは本作1作のみで、完結扱いにもなっていません。
物語の起点はこうです。大学2年の小鳥遊ちおりは、飲み会が苦手な陰キャ寄りの女子大生。隅の席で早く終わらないかと溜息をついていたところへ、大学の人気者・蒼木颯太がやってくる。高校から同じ学校でしたが、これまでほぼ接点はありません。アニメが好きだという話で警戒心が解け、勧められるまま酒を重ねて——次に意識を取り戻したときには、蒼木の部屋にいました。荷物を探すため電気をつけてほしいと頼むと、なぜか拒まれる。理由は「推し部屋を見て嫌われたくない」から。ちおりが「嫌いになったりしない」と答えた瞬間、明かりがつきます。缶バッジ、ポスター、アクスタ。部屋のすべてが、ちおり本人でできていました。
数字も添えておきます。2026年8月6日時点で、DL数は32,981、ウィッシュリスト登録は12,288。評価は716件が付いて平均4.88、レビューは34件。配信翌日の日間ランキングは総合・マンガともに1位、そのまま週間1位(6月10日)、月間1位(6月21日)を獲り、累計ランキングでも294位に入っています。
こんな人に刺さる
「推す側」の感覚を持っている人。 ちおりは小学生の頃から漫画とアニメを嗜み、今はとある少年漫画にドハマり中——つまり推し活をする側の人間として設計されたヒロインです。その彼女が、缶バッジとアクスタとポスターで組み上げられたコレクションの中心に、自分を見つける。推す側の作法を知っているからこそ、それを向けられたときの重さがわかってしまう。この一往復が本作の核なので、グッズを買ったり推しを語ったりする感覚が自分にもある人ほど、置かれた状況の理解が速くなります。
執着ものを、ファンタジー設定なしで読みたい人。 蒼木の設定は、高校時代にちおりへ心奪われて以来(勝手に)推していて、できるだけ近くに居たくて同じ大学に入学した、というものです。呪いも契約も転生もなく、3年以上の時間と手作業のコレクションだけで逃げ場のなさが成立している。異世界や身分差の装置を借りずに執着を組み立てているぶん、読み終わったあとも設定が生活の側に残ります。
タイトルで結論を先に言われても構わない人。 「気持ち悪いです」という評価語と、「推し部屋は全部“私”でできている」というネタバレを、本作はタイトルの時点で両方出しています。何が起きるかを知ったうえで、そこへどう転がり込むかを読む作りです。展開の意外性を求めるより、わかっている一点へ向かって走る話を楽しめる人に向きます。
読みどころ
「電気をつける/つけない」が転換点になっている構造が、この作品でいちばんよくできた部分です。蒼木は自分から部屋を見せません。「推し部屋を見て嫌われたくない」と先に打ち明け、ちおりが「嫌いになったりしない」と答えて初めて明かりがつく。決定的な場面のスイッチを、ヒロイン自身に押させているわけです。執着ものは相手の一方的な行動で進みがちですが、ここでは許諾を取ってから開示するという順序が踏まれていて、そのぶん言質を取られてしまった後戻りのできなさが効いてきます。
推す/推されるの反転も、キャラクター設定の段階で仕込まれています。ちおりは二次元の推しを持ち、ささやかに推し活をしている側。蒼木は高校時代まで推し活のおの字も知らなかった側。二人の立場が物語の開始時点で入れ替わっており、しかも蒼木のコレクションは3年以上かけて作られたものです。物語が始まる前に、すでに3年分の蓄積が終わっている。この時間差が、初対面同然に見える二人の距離を最初から歪ませています。
表紙も同じモチーフで統一されています。細いフレームの眼鏡をかけた銀髪の蒼木が背後からちおりを抱える構図で、背景の壁は赤いポスターで埋まり、手前には透明窓のついた紫のバッグ——中にちおりを模したぬいぐるみが収まった、いわゆる痛バッグ——が置かれています。部屋がグッズでできているという設定を、一枚絵の情報量として先に見せてくる作りです。
描写の強度については、作者自身が作品ページに「男性向けの直接的な表現が多々あります」という但し書きを添えています。乙女向けとして登録された作品ですが、静かな心理描写を期待して手に取ると方向性が違います。なお、本編69ページのうち推し部屋の発覚までにどれだけが割かれ、どこから二人の関係の話になるのか——その配分までは公式情報から読み取れません。
似た作品との比較
現代を舞台にしたTLという点では、「セフレはアリ、恋はナシ!」がいちばん近い立ち位置です。あちらは割り切った関係が恋に変わるまでを本文87ページで描く作品で、崩れていく過程そのものが読みどころでした。対して本作には、崩れる前の助走がほとんどありません。飲み会から部屋へ、そして明かりがつくまでが一直線で、そこから先が本編です。関係の変化をゆっくり味わいたいなら前者、一点へ向かって落ちる話を読みたいなら本作、という選び方になります。
執着という軸で見るなら「堕天のすすめ」と並びます。あちらは聖女と大悪魔、討伐と敗北という枠組みで逃げ場のなさを作っていました。本作は同じ逃げ場のなさを、同級生・大学・グッズという現実の材料だけで組み上げています。世界観ごと没入したいなら前者、日常の延長で怖さを味わいたいなら本作です。
分量と価格も判断材料になります。本作は本編69Pで880円。当サイトで扱っている作品を並べると、「結婚適齢期の、結婚を前提とした、結婚のための関係なのに」が本文85Pで990円、「堕天のすすめ」が106Pで990円、「セフレはアリ、恋はナシ!」が本文87Pで990円。この3本と比べると、本作はページあたりの単価が高いほうに来ます。そのうえで評価4.88(716件)と三つのランキング1位を積んでいるので、量ではなく密度で支持を集めた作品と考えたほうが実態に合います。
総評
評価は4.5。 モチーフと構造が最後まで一本の線で繋がっている点を評価しています。推し活という現代の感覚を雰囲気づくりの装飾ではなく関係そのものの燃料に使い、開示のスイッチはヒロインに押させる。69ページという分量で余計なものを足さずにこれをやり切っている設計は、素直に上手いです。支持の裏づけも十分で、配信翌日の日間1位から週間・月間まで通し、716件の評価で平均4.88、DL数は3万を超えています。
満点にしなかった理由は二つ。本編69Pは当サイトで扱っているTLコミックのなかでも薄いほうで、880円という価格に対してページ単価は高い部類に入ること。そしてもう一つ、本作には体験版も試し読みも用意されていないことです。作者自身が直接的な表現について注意書きを出している以上、それが自分に合うかを事前に確かめる手段がない、というのは購入前のリスクとして正直に書いておきます。
買い方の直答としてはこうです。
推し活の感覚が自分にもあって、執着ものを現代設定で読みたいなら、880円は迷わず出していい。 一点突破の作品なので、刺さるときは69ページでも足ります。逆に、直接的な描写が強めの作品が苦手な人、関係が変わっていく過程をゆっくり追いたい人は、ここから入らないほうがいい。同じ現代TLなら「セフレはアリ、恋はナシ!」のほうが助走が長く、描写よりも関係の変化が主役です。試し読みのできない880円を賭ける前に、そちらで現代TLの読み味が自分に合うかを確かめる——という順序も十分に現実的だと思います。
作品データ
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